森下仁丹葉山マリンフェスタ(旧:洋之介ファンフェスタ)!

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2014年9月22日(日)、森下仁丹葉山マリンフェスタ(旧:洋之介ファンフェスタ)が葉山大浜海岸&葉山公園にて開催された。

その日は台風の影響で数日前まで雨が降る予報だったが、当日はこの上ない天気に恵まれ、秋晴れの中での開催となり、葉山マリンフェスタには、去年の倍の約2000人が足を運んだ。

 

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マリンスポーツ体験教室は、サーフィンやボディーボード、ウィンドサーフィンにシーカヤックなどが実施され、海の中はいろんなマリンスポーツで大賑わい。マリンスポーツを体験をした子供たちからは終止笑顔が溢れた。

またスペシャルイベントでは、株式会社リビエラリゾートが協賛した停泊中の大型ヨットに親子で無料体乗船ができ、こちらは午前中ですでに満員御礼となった。

マリンスポーツを体験した方たちには、最後にお楽しみ抽選会が実施され、ウィンドサーフィン/葉山サーフクラブなどから優待券がプレゼントされ、当選した子供たちは大喜び。

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抽選で優待券をGETした親子!笑顔が最高!

マリンスポーツ以外でも、レイメイキングやマリンクラフト作り、スラッギーギター体験やのびのびストレッチ&フラ体験がなどが実施され、子供も大人も充実した一日を過ごしたようだ。また毎年恒例のステージイベント(無料ライブ)も開催され、浜辺のフォークシンガー・テミヤンや、Uyama Hiroto(roph recordings) & Segawa Tatsuyaのセッションはイベントを盛り上げた。

このイベントの実行委員長である佐久間泰介氏は以下のように語った。

今日はこの素晴らしい天気でイベントを開催できたこと、雨の予報であったのに奇跡だと思います。そしてこんなにたくさんの方が足を運んでくれて、イベントが盛り上がり、実行委員会の方やボランティア、イベントに力を貸してくださった方に感謝致します。ありがとうございました。これからもずっとこの葉山マリンフェスタを実施していきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします!本日は誠にありがとうございました!

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運営スタッフ、ボランティア、共演者のみなさん

青空の下、たくさんの笑顔に出会う事ができ、イベントに参加させてもらったこちらが幸せをたくさんもらった一日となった。

また来年のイベントを楽しみにしています!

葉山マリンフェスタをはじめるきっかけとなった佐久間洋之介について

2006年1月2日、葉山の海で逝った。(享年25歳)あまりにも若すぎる死を多くの仲間が悲しみに沈んだ。
洋之介が日本のビッグウェイバーの一人として認められたのは、2001年ハワイのオアフ島のワイメアベイの巨大な波へのドロップだった。
湘南・葉山から世界に飛び出した佐久間洋之介は今や日本を代表するビッグ・ウェーバーとなり、海外のサーフィン雑誌の表紙を飾るまでに成長した。
★葉山の海で小さい頃から海の薫陶を受けた洋之介は、葉山の海から発信するカルチャーを牽引する一人としてよく知られた存在だった。
サーフィンはもとより、素潜り、フィッシング、キャンプ、カヤック、ジェットスキー、アウトリガー、映像、写真、彼の興味はスターナビゲーションという伝統航海術にまで及んでいた。
★洋之介が海や自然に親しむきっかけは、一軒の葉山の海沿いに父が建てた小さな小屋だった。
まだ歩くこともままならない頃から砂浜に転がされていた。
山ではキャンプで「火の付け方」「ナイフの使い方」「飯ごうの炊き方」などを教わった。
海では「素潜り」「釣り」「ジェットスキー」「海の知識」「天候の知識」などを教わり、後は自由に自然を堪能していた。
一四歳で本格的にサーフィンを覚えた洋之介は、すぐにプロを目指した。
中学という義務教育もさぼりがちだったが、サーフィンに対しては常に真剣でした。
なぜなら、海のリスクが解るから「恐怖心」「海の力強さ」「波に乗る気持ち良さ」が融合するサーフィンにのめり込んでいった。
海は洋之介にとって最良の教科書であり、学校だった。
生前彼が口にしていたことは「海が凄い汚れている」「海の良さを次世代に伝えていきたい」「海の学校を作りたい」
海外生活が長い中、様々な海を見て体験してきた彼は海で吸収してきたことを還元したいと考えていた。
環境問題(ゴミ問題、無駄なテトラポットの投入、生体系の変化)を訴えていきたかったのだと思う。
海の学校とは海のことはもちろん、自然のことを子供たちに教えていきたいと思っていた。
言い方を変えれば「自然学校」だろう。
次世代に素晴らしい地球を残していきたい、楽しむことが大切だと洋之介は思っていました。

洋之介ファンフェスタ

葉山(洋之介)マリンフェスタウェブサイト

 

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