「自然破壊くらいで人類は絶滅しない」「文明は自然破壊を超える知恵を生み出す」「必要に迫られれば人間は何でも開発する。だから大丈夫だ」
そのように考えたり、言ったりする先生方がいます。
しかし、歴史を辿って様々な文明や社会の崩壊劇を調べてみると、どうもそうではないことに気がついたりします。
ご存知の方もいるかもしれませんが、今回は自然破壊が極まって絶滅した文明の話を一部紹介します。
自然破壊と自壊のサイクルがもっとも劇的に観察されている例のひとつとして、イースター島があります。
みなさんも知っている巨石像モアイのある、島です。
この島はかつて巨石像を作るほどの高度で豊かな文明がそこにあったらしいのですが、モアイを作った文明は継承されておらず、文字盤に掘られた象形文字も読める人間はいないそうです。
ヨーロッパ人がこの島を発見したのは1722年。
そのときはほとんど原始人か、それと同等くらいの文化しかなく、高度文明の断片ですら継承されていなかったそうです。
事の問題は、森林が「絶滅」した事にあるという見解があります。
この島のまわりには何もなく、南米チリが太平洋の東側にあるが、そのチリでさえ3,700キロも先になります。
3,700キロと言えば、だいたい東京・成田からベトナム・ハノイくらいの距離になるそうです。
その間に何もないことを考えると、いかにイースター島が孤島であるかが分かる。まさに「絶海の孤島」です。
この島はかつて豊かな森に覆われた森林地帯であったと言われている。恐らくポリネシア系の人々が船でこの島に渡って暮らし始め、人々が増えていったのだと言われています。
外からの侵入者はなく、平和で静かな環境だったらしいのですが、それが災いの元になり、人口はどんどん増えていったようです。
島の全周は60kmほどの小さな島にも関わらず、1600年頃には人口1万人に達しようとしていたと言われていいます。
人口の増加で、火を起こすための薪や家のために木を伐採する。そして、モアイを作ったり運んだりするために、やはり木を伐採して丸太にした。あるいは船を作るためにも木を伐採していく、、、
人々は競うようにして森林を伐採し続けたようです。
やがてある日、ついに森林が「絶滅」してしまったようです。
1650年ころから森林が消えて人口の増えたイースター島で非常に深刻な飢饉が発生するようになりました。
悲劇は、船を作るための丸太すらすでになくなってしまっていたことです。
絶海孤島の小さな島に1万人近くの人間が飢えたまま取り残された。そして、何が起きたのか。
部族間の対立、食料の奪い合い、殺戮、戦争……。役に立たないモアイ像という「神」を尻目に、人々の間に血で血を洗うサバイバル抗争がついに始まってしまったのです。
そして、1774年、キャプテン・クックがこの島を訪れたとき、島の人々はまだ戦っていたが、人口は600人ほどに減っていたようです。
それから10年もすると、この島には子供と老人しか残らない過疎地となってしまったのです。
さて、現代文明はどうなのでしょう。
環境学者達の見解によると、あと数十年でアマゾンのジャングルもボルネオのジャングルも尽きてしまうという声も出ているそうです。
混雑、競争、独占、、、
まとめとしてですが、
人数が少ない時には人間関係は友好的ですが、増え過ぎると徐々に様々な問題が起きてくるようです。
生活の中でも当てはまる事もあるかと思います。
もしあなたが、今の生活の中で人間関係で息苦しさを感じるようならば、選択の場面では数が少ない場所や事を選んでみてはどうでしょう。