小川予報士のウラナミ『また出るか!』

小川予報士

小川予報士
小川予報士:「波伝説」および海専門気象情報サイト「マリンウェザー海快晴」の概況でおなじみの気象予報士。もともとはヨット部で培われた海の経験を、ウインドサーフィン、サーフィン、SUPなどに生かし、自称ウォーターマンを目指しています。

o1

先日、ハワイアンであり、サーファーであり、酒が大好きで、それでいてシステムにおいてはうちの会社の第一人者で、Wave Hunterの産みの親でもある、京都大学の博士号を取得したSoulmanと一緒に、伊勢のさらに先にある熊野で開催された熊野SUPマラソン(15km)に出場してきました。と言っても二人ともレースボードなんて持っていないので、前日にそれぞれ行きつけのショップで借り、始めてのボードで出場する、というかなり無謀な状況で参加してきました。

当日は湘南を朝5時に出発して、順調に高速道路を飛ばして、途中3~4回休憩を入れつつ、ちょうどお昼頃には現地に着くことができました。それにしても、やはり熊野は遠かったです。ちょうど2日前には伊勢まで社員旅行で行っていたので、「戻らないでそのまま現地にいれば良かったのに」と、ほかのスタッフには言われましたが、ボードも、そして道中の話し相手であるSoulmanと一緒に行かなければならなかったので、結局1週間のうちに伊勢を2往復することとなりました。おかげさまで伊勢まで行くのは自分の中ではすでに普通となり、あまり苦痛も無く行くことができました。でも、その先はやはり遠かったです。すぐ手前の尾鷲で一旦それまでの高速道路を下りて、市内を通りつつ、再びバイパスに乗れば良かったのですが、何を思ったのか、下の道でもあと少しなので大丈夫だろう、と勝手に思い込んで走り出したら、この道がかなりキテいました。その道は、やっと1台通れるかどうかの狭い道の上に、崖っぷちの何のガードレールもない、クネクネ道を30分くらい走る羽目となり、かなり後悔したのを覚えています。(帰りはバイパスを通って帰ったのですが、わずか10分くらいで尾鷲まで行くことができ、さらに後悔は大きくなりました)でも、その苦労もあり、途中で目にした大自然や川の水の色には感動し、まるで水が流れていないように見えるくらい透き通っていました。

やっと現地に着き、はるばる営業で来ていたSUPメーカーの方々ともご挨拶をしてからは、次の日にいよいよ開催されるSUPマラソンのウォーミングアップをするために、2km程度湾内を漕ぎました。海の水はかなり綺麗で、下まで透き通り、とても優雅な気分で漕ぐことができ、初めてのボードにしては、この調子でいけば、あすも何とか漕げそうだ、と自分に自信を持たせて海から上がりました。

海から上がってからは、昼ごはんも食べずに漕いでいたので、腹が減ったということで、近くの店を探したのですが、コンビニのような店も見当たらず、結局隣りの町まで車で行くこととなりました。でも、そこにはコンビニはもちろん、大型スーパーもあり、まずはビールと、その日の夕ご飯と次の日の朝食を買って帰りました。というのも、今回は急なこともあったので、宿を特に決めていなく、ビーチでキャンプをすることになっていたのです。(この日だけはビーチでのキャンプが許されていました)
その日は、早めにテントを張って、夕飯の用意をして、まだ陽が沈む前にビールで体を潤していました。周りが徐々に暗くなり、町の明かりもあまりないような場所だったので、気が付けば、あたりは真っ暗となっていました。と同時に、星の数が徐々に増え始め、夜が深くなればなるほど上を見上げれば、一面星だらけとなっていました。そして、久しぶりに天の川も見ることができました。Soulmanも感動のあまり、上を見上げながら、星だけを肴に家から持ってきたお気に入りの焼酎を飲んでいました。そのうちに、朝も早かったのか、いつの間にか二人とも椅子に座りながら、上を向いたまま寝てしまっていました。さすがに、夜が進むと寒くなり、その寒さで目が覚め、テントの中の寝袋に潜っていきました。夜中に目が覚めてトイレに行く途中、上を見上げると、やはりそこには天の川と、わからないくらいの数の星が散りばめられていて、もう一度感動してしまいました。
 
さて、次の日、朝に目が覚めると、すでにレース参加者たちが次々とボードをビーチまで運んでいて、今回の熊野SUPマラソン実行委員会のスタッフの方々も準備に追われていました。天気は晴天でしたが、北東風が少し吹いていて、外洋が気になっていました。でも、きのう漕いだときや、夜中もあまり吹いている様子はなかったので、何とかなるだろう、と軽い気持ちで準備を進めていました。
今回の参加者は日本全国から約200名が集まり、SUPレースの盛り上がり方を実感できた瞬間でした。

(参加者)

(参加者)

(準備)

(準備)

さて、スタートフォンが鳴ると、200名が一斉スタートです。その光景はまさに圧巻でした。今回自分は、エリートクラスというレースを本気で戦う人のクラスではなく、一般クラスという、レースではなくマラソンのように、周りの景色を楽しみながら完走を目指す、という比較的気楽なクラスにエントリーしていたので、エリートクラスのマッチョな方々の後ろからゆっくりとスタートを切りました。でも、一緒にスタートした一般クラスの人たちも、実はみんな本気だ、ということに気が付くまでに時間がかかりませんでした。ゆっくり漕いでる人なんていません。みんなマジで本気なんです。それに遅れまいと、自分も本気で漕がざるを得ませんでした。そうこうしているうちに、湾から外洋へ出たのですが、出た途端にこれまた大変なことになっていました。それは、前夜から吹いていた北東風が強く、前からの風波と東うねりが混ざり、しかも崖にぶつかっては帰ってくる波もあり、四方八方からの波やうねりの洗礼をいきなり受けることとなりました。

SUPは初めてのレースボードと言えども、ある程度は慣れていて、少しの自信もあったのですが、そんなものは一瞬のうちに木端微塵に砕け散りました。立っていることもままならず、座りながらのパドリングです。周りを見れば、みんな座りながら漕いでいます。しかも、たまに胸~肩たまに頭くらいのしっかりとしたうねりが押し寄せてくるので、周りで漕いでいる人がうねりに隠れて見えなくなり、外洋に自分一人だけ取り残された気分に陥ることも多々ありました。たまに、前に見える同じ方向に漕いでいる戦友たちから少しでも離れまいと必死でした。途中には漁船が数隻停まってコース取りをしていたのですが、その漁船もかなり揺れていました。でも、折り返し地点の漁船に乗っている本部スタッフの顔には笑みが溢れ、「頑張れー!あと少しだよ!」と勇気づけるつもりで声をかけていただいていたと思うのですが、もはやその声はほとんど耳には入らず、血相を変えた鬼瓦のような顔で漕いでいたのだと思います。

帰りは、行きのオンショアに比べ、後ろからのダウンウインドになるので、風で押してもらえるだろうと、少し期待していたのですが、そんなことは全くなく、むしろうねりに乗ってしまえばコントロールを失い、スピードと恐怖に襲われる、という繰り返しでした。でも、そんな中、海外からの招待選手を含むトップ集団は普通に漕いで、15kmを2時間足らずでゴールしていました。自分の無謀さと、体力や経験、トレーニング不足がまざまざと実感したレースでした。

結局、自分は2時間38分で、Soulmanは自分よりも5分遅れてのゴールでした。ハワイアンの彼は、意外と冷静に、常に自分の背中を見ながら漕いでいたそうです。
ゴールした瞬間は、何とも言えない充実感と達成感が体中に回り、一緒に漕いでいた初めて会った選手の人たちとも自然に握手やハグをする自分がいて、不思議な自然の力を感じていました。

賞状

賞状

今回のレースは、今年初めて開催されたのですが、それでも約200名が参加し、来年はさらに増えることが予想されます。自分も、漕いだ直後はもう二度と出るまい、と誓っていたのですが、少し経つと不思議なもので、また出てみたい、と思えてしまうこの力はなんなのでしょう?

また、来年に向けて、さらにトレーニングを積んで参加できればと思っています。
熊野の皆様、そしてSUPマラソン事務局スタッフの方々、そして一緒に漕いだ選手の皆様、本当にお疲れ様でした。そして来年も宜しくお願い致します。

記念撮影

記念撮影

最近の記事

関連する記事