AKIさんは、オージーのクリス氏とパダン港で意気投合して、地元の住民が使うポンポン船に乗ってメンタワイにサーフィンするために通い続けた縁が講じて、メンタワイを巡るサーフボートを運営する“スマトラサファリ社”を、力を合わせて興したのだった。同社は、今では3隻のサーフボートを運営して成功している。
創業者であり、メンタワイのポイント開拓者でもあり、さらには海外のサーファーからも慕われていたメンタワイ初の日本人サーフガイドでもあったAKIさん。今ではそのDNAを、大阪出身のYu君がしっかりと受け継いでくれている。
AKIさんとは、毎年ボートトリップ中の10日間だけのお付き合いだったが、スペースが限られたサーフボートの上で、24時間ともに生活し、一緒にサーフィンしまくり、サンセットタイムには反省会と称した飲み会から、夕ご飯を挟んで夜まで飲み・語り続けた。それも一日も欠かさず毎日!!(笑) とても充実したボートトリップの中で、いまでも良く語り笑った日々の記憶は鮮明だ。
昨年11月、我々がメンタワイに向けて日本を出発する直前、AKIさんは日本の友人宅で寝ている間に急逝された。病気治療のために、生まれ故郷の愛媛に帰ってきていたのだが、あまりにも突然の旅立ちに我々はとても動揺した。
仲が良かったメンバーらで相談して、AKIさんが好きだったプレイグラウンドポイントの海上で、簡単なお別れ式をすることにした。共同経営者のクリス氏からは、きれいな沢山の白いバラが届けられ、愛飲していたBintan Beerとともに海に手向(たむ)けられた。
元気だったころのクールなアキさんの写真が、白いバラの花とともに海に放たれたが、いつまでたってもアキさんの顔が水面にプカプカと浮かび、『(我々と)離れたくないよ~、今夜も一緒に飲もうよ!!』とのAKIさんの声が、参列した皆に聞こえたかのようであった。
決して他人の悪口を言わなかった温厚なAKIさんが、10月で三回忌となるのがとても早く感じられるし、彼と再会できないのはとても悲しい。
サーフィンのみならず、写真とお酒が大好きだったAKIさんだが、晩年は病気のみならずケガにも悩まされて辛い日々だったと思う。また、メンタワイのサーフボートの上で一年のほとんどを過ごしたアキさんだったので、庶民の暮らしとは違う色々な苦労があったとも思う。
しかし、目が覚めれば新しいサーフポイントに着いている夢のようなメンタワイのボートトリップの恩恵の数々は、生涯としては短かかったものの、サーファーとしては幸せだったのかもしれない。
そのようなことに想いを巡らせて、感傷に浸った夏の終わりを告げるある晩であった。(了)