☆加藤のウラナミ『憎しみからは、なんちゃ生まれない!!Vol.1』

☆加藤

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☆加藤:会社代表であり、波乗りと海が大好きな50代サーファーです。子どもたちに安心安全な海を残すことと、島国などへ高精細な気象情報を提供することを残る人生のライフワークにしました。サーフトリップネタが多くなりますがお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いします。

平和で美しい日本を守るために......逗子市渚橋

今年の台風の発達具合、そして日本への接近と上陸は、少し恐ろしさを感じるのは私だけではないかと思います。台風11号については、Facebookを通じて早めの警戒をお伝えしてきましたが、このウラナミが公開されるまでに被害がないことを心から願うばかりです。(8/6現在)

今日は、69年前に広島に原爆が投下された悲しい歴史の日なので少々硬い話をさせていただきます。
連日報道されたパレスチナ・ガザ地区の信じられない惨状、イスラエル軍による子どもを含む1800人を超える犠牲者数をだした非人道的な無差別攻撃には、心を痛めるばかりか、何もできない非力さにいたたまれない気持ちの人が沢山いらっしゃるものと思います。私もそのうちの一人です。

正直に申し上げて、これまで日本の集団的自衛権については、欧米との関係強化を図ろうとすれば、日本だけが仲間の国が襲われた時に助けるための反撃が出来ず、ただ同盟国の仲間がやられるのを現場で正視できるのか、逆に反する勢力から自衛隊が襲われた時には、同盟国の軍隊は自らの命を懸けて本当に助けに来てくれるのか、と単純に考えれば、多くの同盟国との信頼関係を築くためにも、集団的自衛権は必要かと考えていました。

しかし、かつてNHKの大河ドラマ『龍馬伝』のなかで、竜馬はこんな母の教えを紹介していました。『憎しみからは、なんちゃ生まれない』と。まさに、ガザ地区の戦争は終わりのない憎しみの連鎖であり、集団的自衛権では解決できない、もっと根本的な判断が求められると痛感しました。

かつての日本の戦国時代において、殺されたら仇(かたき)討ちや戦(いくさ)としてやり返す、泥沼の時代がありました。犠牲になるのは侍ばかりではなく、農民や町民、そして子どもやお年寄りにもおよび、国は荒廃してなんも得るものはありませんでした。殺したら、仇として殺される、そしてまた殺す、その憎しみと殺戮(さつりく)の連鎖は、今のパレスチナ・ガザ地区の情勢とよく似ています。当事者に聞けば、どちらにも仇として敵(人間)を殺さざるを得ない理由があります。それが戦争の恐るべきことではないでしょうか。

先月ウクライナでマレーシア民間航空機が撃墜されましたが、たまたま搭乗した子どもを亡くして悲しみのどん底にあるはずのオランダ人の母親が、静かにこう語りました。『私は憎しみを放棄する』と。

自由に楽しくサーフィンができるのも日本が平和であるからであり、もしも戦争が始まってしまい、家族に銃口を向けられたら、私も家族を守るために、もしかしたら、いや必ず銃を持って戦うと思います。犠牲となったオランダ人の母親の言葉は重く、今後の世界平和にも通じる崇高な理念ですが、戦争は理念では解決できなくなる恐ろしい行為であり、敵を殺さねば自分や家族が殺されるから、というもっともらしい理由が生まれます。

昨日の東京新聞で、広島の原爆により被曝して12歳で亡くなった日本人の少女が、病床で折った、とても小さな折り鶴がハワイオアフ島のパールハーバーにある戦争記念館に飾られた、との記事を読みました。劣化を防ぐためにと何百万円もする高価な特殊ケースを作るために、世界平和を願うハワイの日系人が募金に奔走して実現してくださったそうです。
戦争は人を狂わせてしまいますが、悲劇と苦しみを乗り越えたうえでのこうした話を聞くと本当に救われます。つづく。

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