☆加藤のウラナミ『サーフガイド“AKIさん”を偲ぶ』Vol.2

☆加藤

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☆加藤:会社代表であり、波乗りと海が大好きな50代サーファーです。子どもたちに安心安全な海を残すことと、島国などへ高精細な気象情報を提供することを残る人生のライフワークにしました。サーフトリップネタが多くなりますがお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いします。

(大好きだった忌野清志郎風に) 最高だったぜ~AKI~

AKIさんは、オージーのクリス氏とパダン港で意気投合して、地元の住民が使うポンポン船に乗ってメンタワイにサーフィンするために通い続けた縁が講じて、メンタワイを巡るサーフボートを運営する“スマトラサファリ社”を、力を合わせて興したのだった。同社は、今では3隻のサーフボートを運営して成功している。

創業者であり、メンタワイのポイント開拓者でもあり、さらには海外のサーファーからも慕われていたメンタワイ初の日本人サーフガイドでもあったAKIさん。今ではそのDNAを、大阪出身のYu君がしっかりと受け継いでくれている。
AKIさんとは、毎年ボートトリップ中の10日間だけのお付き合いだったが、スペースが限られたサーフボートの上で、24時間ともに生活し、一緒にサーフィンしまくり、サンセットタイムには反省会と称した飲み会から、夕ご飯を挟んで夜まで飲み・語り続けた。それも一日も欠かさず毎日!!(笑) とても充実したボートトリップの中で、いまでも良く語り笑った日々の記憶は鮮明だ。

昨年11月、我々がメンタワイに向けて日本を出発する直前、AKIさんは日本の友人宅で寝ている間に急逝された。病気治療のために、生まれ故郷の愛媛に帰ってきていたのだが、あまりにも突然の旅立ちに我々はとても動揺した。
仲が良かったメンバーらで相談して、AKIさんが好きだったプレイグラウンドポイントの海上で、簡単なお別れ式をすることにした。共同経営者のクリス氏からは、きれいな沢山の白いバラが届けられ、愛飲していたBintan Beerとともに海に手向(たむ)けられた。
元気だったころのクールなアキさんの写真が、白いバラの花とともに海に放たれたが、いつまでたってもアキさんの顔が水面にプカプカと浮かび、『(我々と)離れたくないよ~、今夜も一緒に飲もうよ!!』とのAKIさんの声が、参列した皆に聞こえたかのようであった。

決して他人の悪口を言わなかった温厚なAKIさんが、10月で三回忌となるのがとても早く感じられるし、彼と再会できないのはとても悲しい。
サーフィンのみならず、写真とお酒が大好きだったAKIさんだが、晩年は病気のみならずケガにも悩まされて辛い日々だったと思う。また、メンタワイのサーフボートの上で一年のほとんどを過ごしたアキさんだったので、庶民の暮らしとは違う色々な苦労があったとも思う。
しかし、目が覚めれば新しいサーフポイントに着いている夢のようなメンタワイのボートトリップの恩恵の数々は、生涯としては短かかったものの、サーファーとしては幸せだったのかもしれない。
そのようなことに想いを巡らせて、感傷に浸った夏の終わりを告げるある晩であった。(了)

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